雑記

2008年5月13日 (火)

くるみオイル

バジリコが順調に増殖中であり、あまりにもプランターに密集していて、ただ間引くのも惜しいと思えたので、新たにプランターと培養土を購入し、移植してみた。バジリコは移植を嫌うと聞いたことがあるのだが、雑草の如く繁殖するバジリコを見ているとそのような心配は杞憂であると考え、移植に至った。これでベランダに据えたプランターは計3つとなった。この調子でいくと夏には嫌というほど料理に使える量が収穫できるだろう。
収穫したバジリコの一番の利用目的はジェノヴァペースト作りなのだが、本の情報によると、どうやらくるみオイルを使うと風味が増して美味しいらしい。当然我が家にはそんなオイルは無く、お店を数軒回ってようやく発見した。アーモンドなどのオイルと比べてひと際高い価格設定がまた期待を膨らませる。が、帰宅後リチェッタをよく読んだらサラダなどにジェノヴァペーストを和える時に使うものと書いてあるではないか。しかし使ってみないことには分からない。他の料理にも利用もできよう。無い知恵を絞って夏までに考えることとしよう。
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2008年5月11日 (日)

味わう舌

料理人は味わう舌ではない、作る舌である。客は味わう舌であり、そこには客観的な感想があって然るべきであると思う。
今日、外食してなんとも言えない悲しい気分になった。好みだけの問題ならいいのだが、フラットな感想を言うなら価格、サービス、全体の釣り合いが取れていない料理とワイン。ただ我が儘なだけなのだろうか?外食をして心の底から美味しいと思えることって本当に少ない。味わう舌として、客としての矜持。味覚についての持論も定かではないのに他人の作る料理を批判する矛盾。カオスな心境で日曜日は終わる。
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2008年4月28日 (月)

酸味と苦味の狭間で

2008042912560000 普段使っているシチリア産のレモン調味料。スーパーでよく見かけるものとは一味違い、爽やかな果実の酸味があり、苦味がない。なので浄水器の水に入れてレモン水にして飲んでいる。美味しいのでたくさん飲む。そんですぐお腹くだす。男は腸が弱いのが難点だ。
そういえば以前和風のパスタである明太子スパゲティーを料理本を参考にして作った時、レシピにはかなりの量のレモン汁を加えると書いてあったので実践したところ、非常に苦い明太子スパゲティーが出来上がったことがあった。明太子の臭みを消す目的で書いてあったのだと思うのだが、完全に蛇足と思えて閉口したというこれまた苦い思い出だ。以来和風パスタは作っていない。
同じようなレモン調味料でこうも味に違いを感じるのはどういうことなのだろうか?酸味の基とおぼしきクエン酸の多寡によって酸味と苦味がふりこのように振れるのか、体調によって違うのか、精製過程や成分調整のための薬剤によって違うのか。舌は場所によって感じる味の精度が異なり、酸味は舌の先端、苦味は舌の奥のほうだったと何かの本で読んだ記憶がある。だとするとレモン果汁入り明太子スパゲティーは舌の奥で味わったんだろうな。そんなことしてたら喉に詰まらせそうな気がするが。

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2008年4月25日 (金)

ソワニエ

ソワニエとはレストラン業界用語で「最上級顧客」を意味し、以下のような特徴が挙げられている。

・特別扱いは求めないがされれば感謝し、おまけの分は何も言わずに追加で払ってくれる
・値段についてとやかく言わない
・批評は本人に直接告げる
・商売に立ち入らない

サービスマンが厨房にオーダーを伝える際、伝票に「ア ソワニエ」(大切に扱われるべき)と書き添えて渡したのが始まりらしい。最近知った言葉だが個人的には正直どこかの店のソワニエになりたいとはあまり思わない。雑誌などで特集も組まれているようだが、どうしても顧客が店側に擦り寄るイメージが払拭できないからだ。自然発生的にソワニエになるならまだしも、自ら努力してソワニエになろうという行為は本末転倒だと思う。サービスを提供される側である客が、そのサービスを滞りなく円滑に行われるよう努めるのは最低限のマナーだけど、それ以上のことはお店に任せるのが自然な姿ではなかろうか。つまり客はメニューを見てオーダーし、出された料理を食べるというごく当たり前の流れが行われればそれでいいと思う。料理人が不特定多数の客に本当に食べさせたい料理を載せているのがメニューだと思うし、そこに載っていない料理を出されることに果たしてどれ程の意味があるのか甚だ疑問である。ソワニエとやらを意識するようなお店はそれなりの料金がかかるところだろうし、そのような店に行くのはせいぜい数ヶ月に1回程度。外で食事をするのに余計な気を遣うのは御免被りたい。
・・・と思ったがその考えでいくとおまかせコース的なものはオーダーできなくなってしまう。1から10まで自分が食べたいメニューを選ぶのもつまらないし。ソワニエという言葉の表面の意味しか知らないでグダグダ文句言うよりも、深く考えずに食事を楽しむほうがいいな。

なかのひと

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2008年4月23日 (水)

味覚

味覚ってどういうことだろう?曖昧な要素が多いであろうこの感覚は料理における永遠のテーマであるような無いような。人の好みは千差万別というように、Aが好きでBが嫌いな人がいれば、Bが好きでAは嫌いという人もいる。Aを好きな人が全体の90%を占め、残りの10%がBを支持しているとしたら、Aを良しとした人の方が「味覚が優れている」ということになるのだろうか?そんなこともないと思うから、味覚というものがよく分からなくなる。
料理の好みもそうだが、食材そのものについても、その好みは当然各人に存在し、調理法についての好みも当然各人に存在し、味の好みの組み合わせは無限大となり、言わずもがな王様は裸なのだ。全く以て意味不明であるが、自分にとっては意味不明なままのほうがしっくりくる。とどのつまり、「よく分からない」という言葉に収束してしまうのだ。
以前、お酒の研究員というレアな仕事をしていた時に利き酒をしていたのだが、お酒に対する味覚が鋭いとか優れている者に利き酒の仕事を選任していたのかというと、そういう訳ではなく、訓練によって利き酒を可能にさせ、酒質の調整を行っていた。どういうことかというと、先人が作り上げた言葉による表現を用いて味覚を表し、加えて嗅覚を用いた情報をまとめて「利き酒」としていたのだ。この方法で毎日毎日1年程利き酒をしていたら、確かにお酒に対する「味覚」は研ぎ澄まされたものとなったと自負している。
話が若干脱線したが、料理に関しても同じことが言えないのだろうか?料理を食べた時の味覚を言葉などを用いた情報として整理し、素材、調理法といったことを含めて判断すれば、自分のなかでの料理に対する「味覚」は完成に近づいていくように思う。無限大のパターンのある料理だが、か細くても自分のベクトルを持つと、その先に何かが見えるかもしれない。

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2008年4月18日 (金)

Mi piacciono gli spaghetti

「私はスパゲッティが好きです」って意味らしい。普段使わないとはいえ、唯一の知識としてのストックのある英語に慣れているとイタリア語は難しい。秋のイタリア語検定を目標に頑張っていこう。
今日は残っていたバーニャカウダソースを使ってキャベツのパスタを作ってもらった。ベシャメルと白ワインで伸ばして作ったらしいのだが、なかなか美味しかったと思う。しかし二人分のパスタとソースを一気にあえるのはやはり難しいらしく、一皿を食べる過程で味のバラツキが散見された。もう少し塩を効かせても良かったのかな?なんにせよ仕事で疲れて帰ってきて料理を準備してもらえているのは非常に有り難いことだ。
ベランダで栽培中のバジルもすっかり大きくなってきている。適当に種を蒔いたせいで芽が密集しており、間引きをする必要があるので100円ショップでピンセットを購入してきた。この100円ショップはかなり規模が大きい店舗なので、ピンセットを探すのにも一苦労だった。店員に訊けば早いのだけれど、それも億劫だったので自分で探し歩いたのだが、なかなか目的のものが見つからない。最初は毛抜きを持ってレジに並ぼうとした。そこから思い直してピンセットを発見し、無事に購入できたのだが、目的の商品がどういう所に陳列されているのか想像することが必要不可欠だと痛感した。ピンセットは医療関係(?)に分類されていたので、マスクや綿棒やガーゼが置かれている棚で発見したのだ。商品の用途を正しく分析し、目的の品を素早く探し出す。何かに共通するような気がするなぁ。
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2008年4月16日 (水)

イタリアに行きたいなぁ

最近通勤途中でずっとイタリア語を聴いてる。ポッドキャストで適当なコンテンツをダウンロードしてみたのだがこれがなかなか上級者向けらしく、ほぼイタリア語のみで構成されていて何を言っているのかサッパリだ。それでも耳がイタリア語に慣れることは悪いことではないと思うので、しばらくは聴き続けようと思う。戦略はなくともまずは聴け。中学から数年間培った英語を超えるのが当面の目標だ。巻き舌は得意なので向いてると思うのはやはり素人の浅はかな考えなのだろうか?今の自分にはNHK教育の「テレビでイタリア語」が丁度良いレベルなので、イタリアの方とそれっぽい会話ができるのはまだまだ先のことだろう。
そういえばこのブログを始める前に車のブログをやっていたことがあった。立ち上げて2〜3日で消去してしまったが。フランスのシトロエンというメーカーがなんか好きで、昨年の夏にそこのC4ピカソという車を購入した時に勢いで始めたものの、特に車に詳しい訳でもなく、車について書きたいことがある訳でもなかったので、たった数日であえなく断念したのだ。イタリアンのブログはまだ続いているが、毎日料理している訳でもないので、いつまで続けるかは分からないなぁ。宝くじが当たったらマセラティのクアトロポルテのオーナーになろう。支離滅裂な文章が酩酊具合を表しているな。願わくば数年後は焼酎ではなく、ワインで酔いたいものだ。
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2008年4月 6日 (日)

何故イタリアンなのか

I何故イタリアンにこれ程のめり込み、ブログまでつけ、暇を見つけては料理するようになったのか。以前は料理など全く興味なかったのに。図々しいこと甚だしいのだが、それまでの自分は「作ってもらう」立場であり、キッチンに立つことなどあり得ないというくだらない信念を矜持していた。
そのような強固な意志を陥落させるに至ったものは、やはり食への探究心と好みの料理の実現を求めたからなのだろう。好きな料理は沢山あるけど自分だったらもっとこうするのに。この料理はこうしたほうがより美味しいのではないか?考えだしたら止まらなくなり、いつしか箸を持つだけだった利き腕は、包丁を握っていた。デパートで調理器具や皿を見る機会が増えた。スーパーで食材を見るようになり、今までは理解できなかった他店との食品の価格差、野菜の相場、旬の食材。全ては新しく、まるで世界に存在しなかったかのような発見の連続。料理原始人だった私は、今ようやく服を着たところだろう。
そしてどうしてイタリアンに特化したのか。自分でも作れそうだったからなどとは夢にも思っていない。全ての料理は私にとっては未知の世界であり、大きな山だった。男の一人暮らし等でありがちなカレーすら作ったことがない。袋で売っているラーメンを具なしで作るのが関の山である。その程度だった私を変えたのは、初めて作ったカルボナーラと白ワインだろう。何故カルボナーラを作ろうと思ったかは定かではないが、作ろうと思ったその日にワインを多く取り扱う酒屋へ出向き、カルボナーラなのにトマト系の料理に合うワインをというオーダーに店の人が薦めてくれた物が、ビアンコ・ディ・クストォーツァという名のカヴァルキーナという生産者の作った白ワインだった。「10人中9人は美味しいと言う」店の人の言葉と共に購入したワインは、見事に9/10だった私と初めて作ったパスタを幸福な夕食に仕立て上げた。
料理とは化学であり、アートであると思う。全ての料理人、主婦、主夫、一人暮らしの男性、女性、彼氏のために料理を作る彼女、その逆も然り、尊敬する。創造の喜びを知る偉大なるアーティスト達だ。それに少しでも近づけるように、軌跡を記しながら素晴らしい異国の料理に情熱を傾けるのだ。

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2008年3月30日 (日)

トリュフオイル

正直トリュフの香りはそんなに好きではなかった。なんとも言えぬ獣臭というか、食べ物を連想させない怪しい香りで、リストランテでもむしろ出ないほうがいいように思っていたくらいだ。何故皆たかがキノコをあのように珍重するのか不可解でしょうがなかった。
が、鼻孔があの特異な香りを記憶しているらしく、最近どうもトリュフの芳香が恋しくなってきた。考えてみれば獣というよりも女性器を連想させるような官能的な香りではないか。あんなに嫌悪していたトリュフを、いつしか森の宝石と賞する人達となんら変わらない想いを抱くようになっていた。
そして私の足は輸入食品を多く扱う店に向かっていた。ひと際高価なオイルが置いてあることは数ヶ月前に確認済みだ。あの単価のオイルを躊躇することなく易々と購入する酔狂者は、私を置いて他にはあまりおるまい。予想通り、トリュフオイルは私を待っていたかのように、棚の隅っこで静かに佇んでいた。高まる鼓動を悟られることなく何食わぬ顔でレジを済ませた私は、欲しかったおもちゃをようやく買い与えてもらえた子供のように高揚しながら帰路についた。この時はまだその後の悲劇を予想だにしていなかったのは言うまでもあるまい。2008033018230000

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2008年3月17日 (月)

はじめに

料理を始めて約二ヶ月足らずのド素人が挑むイタリアンの日記。ノートに記帳する代わりに画像付きで書いていくつもり。完全に趣味でやる(時間もかかるし材料費も余計にかかってしまう)からこそなるべく妥協せずに、凡庸な「美味しい」ではなく「すごく美味しい」という高みを目指して作っていきたい。家庭の料理という甘えは捨てて、常に肩肘を張って料理したい。口だけにならないようにしなければ。

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